旅先なんで書き殴りで。当然ネタバレを含みます。ただの感想ですが反論があればげんなりした顔で受け付けます。
9巻のテーマを一言でと言われたら、「性欲」を選ぶかなあ。いや、「仮初の関係」とか「ケジメ」も捨て難いのだけど。
人として好きな相手と異性として好きな相手は同じとは限らないという三角関係の話と、抱えた性欲との向き合い方を未だ知らない男女の話。
ラブコメと性欲はなんというか、ねじれの位置にいる。性欲がなければラブコメを駆動する源がないが、そこに素直過ぎると話を引っ張る余地がなくてラブコメにならない。必須栄養素ではあるんだけど。
それにしても水島小春さん、マジに素晴らしいキャラクターだった…… 彼女一人でこの巻の収支にお釣りがくる位の出来栄え。多分どうにもならないんだろうなという絶望をずっと抱えながら、それでもやれることをやって足掻いてきたのだと思うと、もう、ね……
有り体に言ってしまえば桜井君はめちゃくちゃにダサいんだけど、ダサいやつは幸せになっちゃいけないのか?って言ったらそんなことはなくて、人生の綾はそういうことと関係なく理不尽で問答無用だという話をしてきたのがこのシリーズで、自分のしたことも含めてそのツケを全部引き受けてツッパった小春さんがもうべらぼうにカッコいい訳ですよ。で、負ける。ダサくないから負けないということもないから。レンゲ、レンゲなあ……
でもやっぱり放虎原さんが心置きなく豊橋を出て行くためにはどうしても避けて通れなかった道で、二人とも好きな小春さんはこうするより他なく……。もうこの一冊だけで彼女のことをガッツリ好きになってしまったよ。全てを振り切る渾身の頭突きにダバダバ泣いた。つよがるガールは最強なんだよ。小春さんにも何かいいことがあるといいなあ……
翻って温水君は、最後こそキッチリ締めてみせたけど、道中はなんだかボロが見え隠れする回だったような。天愛星さんが八奈見さんにジェラってるって気付くの、あんまりに遅くて声が出た。三角関係の結末も全然想定してなかったし。
他人の視線に頓着しない振る舞いが推進力として機能してきたのも事実で、自分と他人の関係性についてはエッジの効いた判断をするけれど(恋愛除く)、やはりそれが全てを解決するわけではない。他者と他者の間に横たわる関係に対してはイマジネーションが今ひとつ欠けている。8.5巻のラスト、無論八奈見と焼塩の危うい関係性を描いているのだけど、温水本人が部内でそんなことになってるとは夢にも思ってない、というのも意図の一つでしょう。パジャマパーティーのラストだってそういう話だし。
まあそのあたりについても、俺は八奈見の事をまるで知らないというモノローグがあったように、ちゃんと歩みを進めている感じがあるので多少痛い目は見るかもしれないが深刻には心配していない。もっと立派な男になってトキメかせておくれ。
代わりに深刻に心配している八奈見さん。8.5巻の続きなら正直もっと酷いことになるかとハラハラしたけど、基本的には良くも悪くも、まあどちらかといえば悪い寄りに現状維持。
ただ、なんでこのメンツに八奈見なの?と思ってた件については、蓋を開けてみればもう八奈見以外はあり得ないという配置。私の想像力もポンですわ。
普通に読めば桜井に袴田を重ねるのだけど(1ページ目で袴田をフルネーム呼び、八奈見をあしらっていたことをおさらいしてる)、八奈見から彼女自身にも重ねて見るようにしているのがキレキレの作劇。まさに彼女にしかできない仕事なわけで。そもそも話の立て付けがよりシビアになって帰ってきた1巻だからね。
(追記)
ここで八奈見の「透明な瞳」を見ていたのは温水なので、八奈見と桜井を重ねているのは温水と捉えるのが自然だと思い直した。おそらく、八奈見がまだ「失恋後」だと思っているという話に繋がるのかね。温泉宿で何もなかったことと併せて、「失恋後の寂しい女」と「その横にいるポッと出の男」というロールを脱却しなくては、小春・桜井と同じ顛末を迎えかねないというのが仄めかされているのか……
温水に脆い部分を見せるようになってきたことについて、まあ甘えが出ているとも甘えられるようになったとも読める。桜井と放虎原が話していた「つまらない自分を知ってもらう」は八奈見にも通じるのかなあと思ったり。今回の経験が八奈見自身にもきっと活きてくれる……よね?そう考えないと胃が痛い。多分これから原作読むたびにこんな感じだと思うとますます胃が痛い。
ちなみにバカほど可愛いことについては今さら言うまでもない。あれだけ小春の奔放発言にたじろいでおきながら、温水が同じ部屋で寝るように自ら引き留めたあたりは(八奈見にしては)相当頑張った。ろくに共通点が無いような書き方をしながら温泉につかったときのリアクションが同じだったりするのもあざといったらありゃしない。はあ……
9巻読み終わった人は是非、星野源の「地獄でなぜ悪い」を聞いてみてください。まさに9巻なので。読み終わったあとにもう50回くらい聴いてます。
以下、9巻とあんまり関係ない余談。
食べることはレジリエンスの象徴という読みでいいのかな。小春と桜井を引き合わせたのがお好み焼き屋だったり、高山では少食だった小春がファミレスでドカドカ食べて立ち直っていたり。
遡ってみれば八奈見以外にも食をテーマにした発表がラブレターだった小鞠、温水から見ていつの間にか食べ終わってる志喜屋(彼女の恋がどう決着したか知らない)、運動部だったのに肉を食べたがらない放虎原(自罰的振る舞い)と繋げて読むことができる。焼塩は飯エピソードが綾野と団子食ってたことくらいしか思い当たらんけど。
ただ「檸檬ちゃんは走って、小鞠ちゃんは書いて」の後に八奈見は食べるが続かなかったように、それだけで一人前のアイデンティティとも扱い難いという話になるのかね。食べること自体は誰でもできることで特別ではないし(量には目を瞑る)、彼女は食べる専門で作ることにかけては温水兄妹など上がいる。回復によってマイナスをゼロにすることはできても、それだけではその先を積み上げるまでは至らないというのが、過食による体重増加とかヒザ壊しネタと繋がっているのだとすると納得できる。次に行く準備がなかなか進まないという示唆。
この観点では7巻の「リベンジ大作戦」が特に顕著。Newマケインである白玉は食べて増量しなければならず、八奈見は痩せる事を迫られる。白玉は回復が必要な立場、逆に八奈見はもういいでしょ?後輩も入ってきたよ?と今までの謎カロリー理論を捨てて本気のダイエットをさせられる。本人にも薄々そういう自覚はあるのか頑張って痩せたんだけど、あろうことかそんな八奈見に飯を食わせようする奴がいて……という。結局、温水はあまり意識していないもののラッコの八奈見さんでいて欲しいという振る舞いをしており、八奈見はそのぬるま湯から抜け出せずにいるんだね……
食べるということは誰でも、そして毎日しなくてはならないこと。だからこそ「負けても人生は続くのだ」というテーマとよく繋がっており、作品序盤の彼女は物語の中心で活躍していた。けれどもそこに近過ぎるが故か、八奈見は「ハレとケ」でいうところのケの濃度があまりにも高過ぎる、ハレの場の振る舞いをまるで知らないという事が具体的な課題なのかなあ。
ラブコメにおけるコメディパートから出てこれず、他の人が真面目にやってるんだけど?という煮詰まった場面でかなしいくらいに頓珍漢な振る舞いをしてしまう。かつての袴田や今の温水からの扱いとか、恋愛における非日常的ムードを作るのが下手でその処方箋が「食べるな」だったこととか、意外とアガリ症とか全部ここに回収される。
ただ恋愛に夢や刺激を求めていた袴田と違って、温水は恐らく八奈見のそういう部分を好いている面がある。(正確に言えば八奈見にはそれを求め、庇護欲のようなものが前面に出ている。代わりに他の女子では別の需要を満たそうとしているといったところか……) だからこそコイツは食べることしか能がないんだと考えるのと同時に、自分で積極的に餌付けもしている。ふとした所での女性らしさにドキッとすることはあれど頑なにそれを認めず、ラッコ化し続ける部分ばかりを見て、それでむしろ八奈見を無差別に思い出す頻度は上がっている。兄に近づく女を虫除けしながら友達がいないのをイジっていた頃の佳樹と同じで、血は争えない。
八奈見自身は変わらなくていいとは考えていない、と思いたい。その兆候はチラホラ見えている。しかし、身につけてしまったペルソナをそう簡単に改められたら苦労はしない。特に八奈見は12年間想いを寄せていた袴田に派手にフラれ、失恋の痛みを走る事、書く事にぶつけた焼塩・小鞠に比べてこれといった趣味や特技もなく、明らかに拠り所として立つものがほとんど無いように描写されている。
彼女が次の段階に進むには、理想を押し付けようとする温水が作り出す居心地のよい重力圏からスイングバイして出て行かなければならず、多分その足掛かりとして食べる以外のアイデンティティの確立が必要なんでしょう。そして温水の理想を外れることがもたらしそうな結末を含めて、八奈見はそれを選び取ることが出来るだろうか、というのが今後の焦点のひとつかな?小春の成り行きを見届けていた点には希望が持てる気がするけど、どうなんでしょうね。
いや〜やっぱり八奈見さん好きだな。人生なんて大概はつまらない日常パートだし、ほとんどの人は一本軸足になるようなアイデンティティなんて持ち合わせちゃいない。だからこそ、等身大な八奈見さんを好きになっちゃうね。ダメなところは私に共感できるところが多いという贔屓目もあるけど。ぬくやなが成立するかどうかより八奈見さんが大成する方をよっぽど祈って読んでいるよ。八奈見さん好きやし。
(また追記)
随分と突飛な解釈を思いついたので、頭がおかしくなったとでも思って読んでくれ。
八奈見の課題をハレとケのバランスを欠いている事と読むなら、それはラブコメ作品におけるシリアスパートとコメディパートに準えることが出来そうだ。実際、9巻においては本筋の重苦しさを相殺せんとばかりに、ぬくやなパートの脱力感が目立った。それは作品構成上の都合と、キャラクター造形の説明の両方を兼ねていると思われる。
一方で、温水の持つ歪な自己認識や当事者意識の欠落、独善的な解決策の教唆、他者に対する理想の押し付けはどう読み解いたらいいのか。上記を基にさらに論を進めるなら、温水は自身を"読者"、周囲の人間を"作品の登場人物"と捉えているようなものだと言えるのではないか?という次第である。
文字通り次元が違うと思っているから、他人の視線に臆さない振る舞いができ、周囲との関係性から自分だけを棚上げするからこの状況でも「女の敵」であることを否認する。半ば「キャラクター」として捉えるから、相手に自分の思う理想を押し付ける。それぞれの女子に対して温水のモノローグの質がガラリと変わるのは、そもそも異なるジャンルの作品を読んでいるような気分だから。作品が違う存在だと思っているから他人同士の横軸の関係性に想いが至らない。etc…
結局、世界の中で自分をモブ扱いするというのは、自分だけが特別だと思っているのと何の変わりもない。12月25日生まれは伊達じゃないという訳なのか。
そもそも、この構図は1巻で一度提示されている。八奈見や焼塩、小鞠に”負けヒロイン”というラブコメ用語であられもないレッテルを貼っていた温水が、彼女らとのやり取りを通してその向こうにいる生身の人間を認知した。だからこその八奈見に対する”友達申請”なわけで。それは、ラブコメ読者としての立場を捨てて彼女たちと同じ世界に足を踏み入れていくというメタフィクション的な結末になる、はずだった。
しかし、今の温水は周りのヒロインとの関係において、とっかえひっかえジャンルの違う物語を読み漁るような、無責任な立場に逆戻りしてしまっている。どんな相手にも隔てなく手を差し伸べる、と言えば聞こえはいいがいざ天愛星のように本気で迫られると、その本気に応える覚悟がないので受け入れることも断ることも出来ない。他の女と話している時には八奈見のことがチラつくが、さりとてその八奈見と本気で関係を進める態度も見せない。
このような態度こそが、散々「女の敵」と言われている由縁である。温水が読者としての地位を降りようとしないから、読者のラブコメに対する要請の過熱を投影したような"ヒロインレース"に発展してしまったと読むと、おもしろい。
「あのね、温水君。女の子は二種類に分けられるの。幼馴染か、泥棒猫か」
"負けヒロインが多すぎる"
ラブコメの登場人物が、ラブコメみたいな世界観の台詞をそのまま述べる。その入れ子構造に騙されていたが、よく考えるとやっぱり変。袴田との過去回想も、あれを読んだ人は誰もが「あまりにもコテコテな幼馴染だ……」と思っただろうし、明らかにそう思わせるように書いてある。
おそらく、温水にとっての八奈見は最もベーシックなラブコメの(負け)ヒロインということになるのだろうか。八奈見自身はラブコメなど読んでいないだろうにも関わらず、上記のようなことを言ってのける女である。温水の中で八奈見のことを「そういうヒロイン」という形で定めてしまっていることは「八奈見枠」という言葉にも表れている。それが故に、正面から男として女扱いしないし、とんちきな振る舞いを続ける彼女に変わって欲しいとまるで思わない。他にも天愛星さんは少女漫画チックだ、などの読者が抱くイメージを温水もまたそれぞれの相手にそのまま投影しているのではないだろうか。
ラブコメオタクの温水だけが八奈見のコメディ体質とそれがもたらすものを許容していることは、作中ではもはや碌な評価をされていないことが浮き彫りになりつつある八奈見に、それでも温水が並々ならぬ意識を向けている事、そしてそれに足を取られて八奈見が歩みを止めてしまっている事をある程度説明できる。奇しくも、ラブコメというジャンルそのものの性質として「付き合うまでの楽しい時間」に焦点を当てるという話の構造上、途中でストーリーが停滞しがちであるという傾向にも符合している。
ちなみに、確かに温水はラブコメを自分で書こうとするほど好んでいるが、これまでの話は八奈見にとって有利な材料とも思えない。温水にとって、物語が始まるまでの友達はライトノベルだけであり、八奈見=ラブコメなら、すなわち温水にとっての幼馴染枠という構図になる。この世界は幼馴染が絶対負けないラブコメなどではない。幼馴染というポジションにあぐらをかいてそのアドバンテージを活かせず見事に敗れた女の話を、我々は8.5巻においてあまりにも残酷な形で再確認させられたばかりである……
ともかく、温水が何をどう改めないと「刺される」のかについてもこれで大体掴める気がする。どうにも温水のバッドエンドを象徴しているらしい小抜先生もまた、ツワブキに戻ってきては盗撮などの手段を駆使して外野から現役の学生の恋愛模様を啜っている有様であり、いかにもな反面教師がそこに立っている。
9巻の結末において、温水はケジメの必要性を認識してボヤいているが、もう事あるごとにこれを言って結局話が進んでないような気がする。「付き合うってなんだかめんどくさそう」「付きあっていなければ仲の良い友達でいられたのか」などただでさえ歩みの遅い恋愛にさらにブレーキをかけそうなモノローグさえ見られた。なんか深刻には心配してないって書いたけど撤回したくなってきたな……
最後に一つだけ、なんだかラブコメのことを下げるような書きぶりになってしまったかもしれないが、そこは否定しておきたい。この作品のタイトルが示しているのは、ジャンルのお決まりを知り尽くした上でそのメタをやりますよという宣言に他ならない。単に解体するだけならそんな面倒なことをする必要はない。よくラブコメの枠に留まらない作品と褒めそやされて久しいが、むしろ明らかに無類のラブコメ好きな雨森先生が最終的にはラブコメの何たるかを描く気概があるものだと妄想している。それを知りたいからこそこんなにも必死こいてマケインを読んでいる、ということは書き記しておく。これからの展開もおっかなくて楽しみだ。